2020年5月24日日曜日

Ⅰコリント(31)「適切に、秩序正しく」Ⅰコリント14:26~40


今朝取り上げるのはコリント人への手紙第一、3月最初の礼拝から数えておよそ3か月ぶりにこの手紙を礼拝で読み進めることになります。この手紙を開くのは久しぶりとなりますので、まずはコリント人への手紙第一とはどのような手紙なのか、簡単に振り返ることから始めます。
文化はアテネ、商業はコリント。紀元1世紀の昔ギリシャで繁栄した二つの町はそう並び称されました。特に交通の要にあるコリントは富においてギリシャ世界随一と言われ、様々人々が集まる国際都市でもありました。他方、繁栄の裏側で道徳は腐敗し、欲望と快楽の町としても知られ、「コリント人のように生きる」と言えば、不品行の代名詞でもあったのです。
紀元50年頃この町に教会を建てたのが使徒パウロでした。その後一旦教会を離れたパウロがおよそ4年後、対岸の町エペソで宣教中のこと、コリント教会から次々と残念な知らせが届いたのです。仲間割れ、性的不道徳、離婚、富める者と貧しい者の不和、偶像にささげた肉を巡る争い、礼拝の混乱、キリストの復活を疑う人々等、「これが本当にキリスト教会なのか」と驚くような問題ばかりです。こうした問題に対応するため、パウロによって書かれたのがコリント人への手紙第一でした。
先ほど読みました14章の終盤は、礼拝における混乱の問題を扱う12章から14章の段落の結論となります。各々が指導者と仰ぐ人物の優劣を争う。偶像にささげた肉に関する知識の有無で対立する。食事交わり会でも貧富の差で反目しあう。コリントの教会は何かにつけて対立してきました。そして、この霊的未熟さが賜物や奉仕者の優劣の問題として礼拝の場でも現れたのです。
これに対し、パウロは12章で、教会はキリストをかしらとするからだと説きました。主イエスを信じる者はみなからだの一部。賜物や働きは異なっても、すべての人が必要不可欠な存在であることを教えたのです。
続く13章は「愛の賛歌」と呼ばれる有名な章です。教会が一つからだとなるためには、人の注目を集めようとする奉仕は有害であること、人に仕える奉仕こそ必要であることが語られています。
これら12章、13章がすべての教会に共通する教えであるとすれば、14章はコリント教会向けの適用となります。異言こそ最高の賜物、そんな賜物を持つ自分たちこそ重要な存在と考える人々にパウロは語ります。

14:4~5「異言で語る人は自らを成長させますが、預言する人は教会を成長させます。私は、あなたがたがみな異言で語ることを願いますが、それ以上に願うのは、あなたがたが預言することです。異言で語る人がその解き明かしをして教会の成長に役立つのでないかぎり、預言する人のほうがまさっています。」

 本来賜物は隣人の益となるため神が私たちに与えたもの。もし異言の意味を説明する人がいない場合、語る人自身の益にとどまる異言より、誰にでもわかり、誰にでも益をもたらす預言の方が優ると使徒は教えているのです。この点を確認した上で方針が下されます。

14:26「それでは、兄弟たち、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれが賛美したり、教えたり、啓示を告げたり、異言を話したり、解き明かしたりすることができます。そのすべてのことを、成長に役立てるためにしなさい。」

ある註解者は「この文章に初代教会の礼拝風景を垣間見ることができる。」と書いています。確かに、賛美が行われています。聖書が教える人、啓示つまり神の言葉を告げる人、異言で祈る人、それを説明する人など様々な奉仕者が礼拝にいたようです。
 しかし、説教者や祈る人は何人いたのか、誰が説教者や祈る人を決めていたのか、讃美歌は何曲歌われていたのか、礼拝の時間は決まっていたのか。プログラムはどのようなものだったのか。それらのことについて、聖書は語っていません。
恐らく初代教会では、各教会の長老たちが地域性や教会員の賜物などを考慮し、礼拝プログラムや奉仕者を定めていたものと考えられます。その際参考にされたのは主イエスの時代ユダヤの会堂で行われていた礼拝です。
ルカの福音書には、ある安息日主イエスが出席した礼拝の光景が描かれていました。

ルカ4:16~21「それからイエスはご自分が育ったナザレに行き、いつもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その巻物を開いて、こう書いてある箇所に目を留められた。「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」イエスは巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいた皆の目はイエスに注がれていた。イエスは人々に向かって話し始められた。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」

司会者である会堂司が主イエスにその日朗読すべき聖書を手渡す。主イエスがそれを朗読し、説教する。もちろん、他の人が聖書を朗読したり、説教するのを主イエスが聞くこともあったでしょう。主イエスも一つプログラムのもと、人々とともに神を賛美し、神に祈り、礼拝をささげたのです。救い主だからといって司会者の指示を無視することはなかったのです。
主イエスは自らの賜物をもって人々に益を与えましたが、人々の奉仕から益を受け取ることもあったのです。主イエスは小さな村の教会の奉仕者であることに満足しておられたのです。
それなのに、コリント教会ときたら、異言派の人々が次々と立って祈りや賛美を行い、人々の耳目を引こうとする。預言派も黙ってはいられず、異言派を制する者があるかと思えば、預言を語り続けて礼拝の時間を独占する者もいる。司会者も、プログラムもないも同然。各自思うがままに奉仕をささげ、周りを顧みることがなかったのですから、礼拝が混乱するのも当然だったでしょう。
「たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。たとえ私が預言の賜物を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。」(13章1、2節)とパウロは前章で語りました。
まさにコリント教会の礼拝は騒々しく、無秩序で、誰も益を受けることのできない礼拝と化していたのです。だからこそ、パウロは「すべての奉仕をお互いの霊的成長のためにおこないなさい。」と言わねばならなかったのです。。
しかし、コリント教会の混乱は一般的な勧めで収まるレベルにはありませんでした。異言派、預言派各々に対して具体的な指示が必要だったのです。

14:27~33a「だれかが異言で語るのであれば、二人か、多くても三人で順番に行い、一人が解き明かしをしなさい。解き明かす者がいなければ、教会では黙っていて、自分に対し、また神に対して語りなさい。預言する者たちも、二人か三人が語り、ほかの者たちはそれを吟味しなさい。席に着いている別の人に啓示が与えられたら、先に語っていた人は黙りなさい。だれでも学び、だれでも励ましが受けられるように、だれでも一人ずつ預言することができるのです。預言する者たちの霊は預言する者たちに従います。神は混乱の神ではなく、平和の神なのです。」

異言は説明できる人がいなければ、誰の益にもならない。その様な場合声を出さず、自分か神に対して語るようにしなさい。これは黙想、黙祷の勧めです。他方、預言今でいう説教も皆が同時にではなく一人ずつ語るように、説教者も二、三人で十分とされます。また、誰かが説教している時、他の人は吟味役をつとめるようにとの指示もあります。
コリント教会には自称預言者がいたのでしょう。彼らの言葉が本当に神からのものなのか。旧約聖書や主イエスの教え、使徒の教えと照らし合わせて吟味する人が必要とされたのです。また別の人が神の言葉を受けたなら、その人に説教の奉仕を譲るが良いとして、説教の時間や奉仕をひとりの人が独占するのを禁じています。
パウロは語るべき時と沈黙すべき時、奉仕をすべき時と奉仕を交代すべき時など、預言者なら自分の言動を制することができなければならないと命じています。何よりも、「神は混乱の神ではなく、平和の神である。」このことを肝に銘じる必要があると考えていたのです。自己顕示欲も妬みも、奉仕者が競い合うことも、神礼拝にふさわしくないからです。
ところで、礼拝を混乱させていたのは異言派と預言派の対立だけではありませんでした。熱狂的な女性解放運動に影響された婦人たちが「自分たちにも礼拝説教を行う権利がある」と主張したり、礼拝中説教に関する質問を執拗に繰り返したらしいのです。それに対してパウロはこう告げます。

14:33b~38「聖徒たちのすべての教会で行われているように、女の人は教会では黙っていなさい。彼女たちは語ることを許されていません。律法も言っているように、従いなさい。もし何かを知りたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、女の人にとって恥ずかしいことなのです。神のことばは、あなたがたのところから出たのでしょうか。あるいは、あなたがたにだけ伝わったのでしょうか。だれかが自分を預言者、あるいは御霊の人と思っているなら、その人は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。それを無視する人がいるなら、その人は無視されます。」

「女の人は教会では黙っていなさい。」とは時代錯誤も甚だしい。「もし何かを知りたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。」など男尊女卑の教えそのものと言われそうなところです。
けれども、聖書は男尊女卑を否定し、男女対等を教えています。当時ギリシャ・ローマ社会では、女性に男性を教える能力があるとか女性に学ぶ権利があると考える人は殆どいませんでした。ユダヤでは「タルムードも女にとっては豚に真珠」と言われ、女性が学ぶことはタブーとされました。女性が宗教の教師になる道も閉ざされていたのです。ギリシャもユダヤも男尊女卑の世界でした。
しかし、新約聖書には女預言者が何人も登場します。復活の証人として男の弟子に主イエスの言葉を教えたのは女性の弟子でした。雄弁で知られる伝道者アポロに神の教えを説いたプリスキラという女性もいます。また、マリヤが主イエスの前に出て、直接教えを学んだ時、彼女は大切な一つのものを選んだと主イエスは賞賛しています。パウロも女性が聖書を学ぶよう命じています。
ですから「女の人は教会では黙っていなさい。」とは、女性がどんな場合も男性に教えてはならないということではありません。むしろ、女性は神学校で教えてもよいのです。教会学校でメッセージをしてもよいのです。講演会や研修会で教えることもできるのです。
但し、「聖徒たちのすべての教会で行われているように」とある通り、使徒が建てた初代教会は、公の礼拝で説教する奉仕についてのみ、創造の初めから神が男に与えた務めであり、女性には禁じられていると考えていたのです。その理由は当時一般的に考えられていたように、男性が女性よりも優れているからではありません。教会が創造における神の定めを重んじたからです。
また、パウロが嘆いているのは、コリントの女性たちが質問を繰り返し、人々が説教を聞く妨げとなり、礼拝の混乱を招いたことであって、女性が学ぶこと自体ではありません。むしろ、当時の常識とは異なり、女性の学びを主イエスもパウロも重んじているのです。
こうして見ると、コリント教会の礼拝がいかに乱れていたかが想像できます。しかし、悲しいかな、コリントの教会は自分の欠点を自覚できず、却って自分たちの礼拝こそ神の教えに適うものと思い、鼻高々だったのです。「神のことばは、あなたがたのところから出たのでしょうか。・・・」とか「自分を預言者、あるいは御霊の人と思っているなら」とはそんな彼らへの皮肉、戒めです。
しかし、パウロの愛は絶えることはありません。使徒は高慢で、ひとりよがりなコリント教会を「私の兄弟」と呼んで、進むべき道を示すのです。

14:39~40「ですから、私の兄弟たち、預言することを熱心に求めなさい。また異言で語ることを禁じてはいけません。ただ、すべてのことを適切に、秩序正しく行いなさい。」

預言することを熱心に求めよ。だからと言って異言の賜物を禁じてもいけない。異言派にも預言派にも配慮した、バランスの取れた助言です。そして、礼拝に出席したすべての人が神から益を受け取るために、奉仕者は賜物を適切に用い、ひとりひとりが秩序正しく振舞うようにと勧め、パウロは礼拝混乱の問題にピリオドを打ったのです。
礼拝の混乱はコリント教会特有の問題でした。しかし、礼拝のあるべき姿に関するパウロの教えは、今の私たちも活かすべきものではないかと思うのです。
ひとりひとりの自由が重んじられるも、自分勝手やひとりよがりは許されない。賜物や能力は大切だとしても、それをもってその人の価値を測らない。自分の働きが人に注目されることよりも、与えられた賜物を用いて人に仕えることを喜びとする。
コリント教会の奉仕者たちの姿を反面教師として、私たちもひとりひとりの自由と全体の秩序が両立する教会、家庭、社会の建設を目指してゆきたいと思うのです。

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