ご存じの通り、新約聖書は全部で27巻あります。その中身はと言うと主イエスの教えと活動の記録である福音書が4冊、初代教会の歩みを記した使徒の働き、歴史書が1冊、使徒ヨハネが書いた黙示録、預言書が1冊。残りの21冊はすべて手紙、書簡となっています。
クリスチャンは何を信じるべきか。この世でどう行動し、どう生きるべきなのか。教会とは何なのか。この世界に対する神のご計画はどんなものなのか。教会生活を送る上でも社会生活を送る上でも、手紙に記された使徒たちの教えはクリスチャンたちの歩みを支える重要な役割を果たしていたのです。
また、新約聖書の手紙が書かれた紀元1世紀、キリスト教会はユダヤにもサマリヤにも、小アジア現在のトルコにも、ギリシャローマ世界にも広がっていました。しかし、現代からは想像もできない程寂しく、厳しい状況の中で教会は孤立していたのです。それら各地の教会が互いに交わりを結び、励まし合い、助け合うために、使徒たちの書いた手紙が大いに用いられていました。私たちが礼拝で読み進めてきたコリント人への手紙第一もこうした手紙の一つなのです。
紀元1世紀半ば、経済的な繁栄を極めるコリントの町に建てられた教会は様々な問題を抱えていました。道徳が腐敗し、偶像礼拝が盛んで、人々の心は欲望と快楽、虚栄心に支配されていたコリント。当時「コリント人のように生きる」と言えば、不品行な人の代名詞でもあった程の町コリント。
そんな大都市に建てられたことが影響したのでしょうか。分裂分派活動、性的不道徳、富める者と貧しい者の不和、偶像にささげた肉を巡る争い、礼拝の混乱、死者の復活を疑う人々の存在等、これが本当にキリスト教会なのかと驚く様な問題をコリント教会は抱えていたのです。
私たちはこれまでコリントの教会が抱える一つ一つの問題にパウロが与えた処方箋を読み進めてきました。そして先週、貧困に苦しむエルサレム教会を助けるため、義援献金を準備するようコリントの教会に指示を出したところで、ついに本論は終了しました。今朝私たちが読み進めるのは手紙の末尾、人物の往来と消息、最後の挨拶となります。
しかし、この部分単なる人物の消息、単なる習慣的な挨拶として読み過ごすことはできません。むしろ、パウロや当時のクリスチャンたちが教会をどれ程大切にしていたのか。その様子を私たちに教えてくれるのです。この点を心にとめながら読み進めてゆきます。
16:10~12「テモテがそちらに行ったら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようにしてあげてください。彼も私と同じように、主のみわざに励んでいるのです。だれも彼を軽んじてはいけません。彼を平安のうちに送り出して、私のところに来させてください。私は、彼が兄弟たちと一緒に戻るのを待っています。兄弟アポロのことですが、兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くように、私は強く勧めました。けれども、彼は今のところ行く意志は全くありません。しかし、良い機会があれば行くでしょう。」
テモテは若き伝道者であり、パウロの愛弟子でした。神経質で、内省的な性格の牧師の卵だったのです。この時使徒は既に自分の代わりに信頼するテモテを難問山積するコリント教会に送り、テモテは旅の途上にありました。だからでしょうか、パウロはコリント人の自己主張の強さと荒々し難問さが、温和なテモテを痛めつけないようにと配慮しています。
「あなたがたのところで心配なく過ごせるように」「若いからと言って彼を軽んじてはいけません」「彼を平安のうちに送り出してください」。そう言葉を重ねているのです。「たとえ若く、まだ未熟な点があるとしても、テモテは私と同じように、主のわざに励んできた人物なのです」と心から推薦しているのです。
次はアポロです。アポロはパウロが滞在していた町エペソで伝道者としての召しを受けました。19節に出てくるアキラとプリスカ夫婦に導かれたのです。その後、持ち前の雄弁を生かした活躍は目覚ましく、彼を慕う人々がアポロ派を作るほどコリントの教会でも人気の伝道者だったのです。
このアポロに対し、パウロはコリントの教会に行くよう強く勧めました。恐らくアポロの派の人々がコリントに来てほしいと要請したのでしょう。使徒はその要請を認め、アポロにコリント行きを勧めたと言うのです。口さがない人々は「アポロがコリントに来ないのは、パウロが嫉妬してアポロのコリント行きを邪魔しているからだ」と邪推していたらしいのです。
しかし、事実は全く異なります。パウロとアポロの間には不和も対立もありませんでした。むしろ、アポロは自分がコリントの教会に行くことでアポロ派が勢いづき、教会が混乱することを心配してコリント教会からの招きを断ったのです。自ら他の場所で奉仕することを選んだと言うのです。
勿論、アポロがコリントの教会を心配していたことに変わりはありません。「しかし、良い機会があれば行くでしょう」とある通り、アポロは「今はタイミングが悪い、訪問するのに良い機会とは思えない」と判断し、パウロもそれに同意したと言うのです。パウロとアポロの間には不和もなく嫉妬もなし。両者の思いは一つだったのです。こうして、この手紙最後の勧めが告げられます。
16:13~14「目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。雄々しく、強くありなさい。一切のことを、愛をもって行いなさい。」
これらの勧めもこれまで見てきたコリント教会の現状を踏まえると良く理解できます。「目を覚ましていなさい」とは、主イエスの再臨がいつ来てもおかしくはない時代に生きていることを自覚せよとの勧めです。不品行をなし、偶像礼拝に参加するコリントの人々の生き方には主イエスの再臨を待ち望む緊張感が欠けていると、パウロには見えたのです。
また、「堅く信仰に立ちなさい」とは使徒たちの教えを理解し、従うようにとの勧めです。偶像にささげた肉を巡る対立、死者の復活を疑う者の存在は聖書の教理に対する理解不足と不従順が原因と判断したのです。そして、「雄々しく、強くありなさい」とは大人として、責任をもって主のわざをなし続けよとの意味もあることを、ある註解者は示しています。そうだとすれば、最初熱心に義援献金に取り組んでいたコリントの教会がやがて熱意を失い、献金を継続できない事態に陥る可能性があることを、パウロは見抜いていたのかもしれません。
さらに、「一切のことを、愛をもって行いなさい」との勧めからは、分派対立、富める者と貧しい者の不和など、愛の欠如がコリント教会の課題であることが伺われます。
けれども、問題山積みのコリント教会の中にも、心ある兄弟姉妹がいました。問題多き教会にありながら教会に仕え、何とか教会を良くしようと努める人々が存在したのです。パウロはそんな彼らに目を留め、慰めと感謝の言葉をかけるのです。
16:15~18「兄弟たちよ、あなたがたに勧めます。ご存じのとおり、ステファナの一家はアカイアの初穂であり、聖徒たちのために熱心に奉仕してくれました。あなたがたも、このような人たちに、また、ともに働き労苦しているすべての人たちに従いなさい。ステファナとポルトナトとアカイコが来たので私は喜んでいます。あなたがたがいない分を、彼らが埋めてくれたからです。彼らは私の心とあなたがたの心を安らがせてくれました。このような人たちを尊びなさい。」
ここに登場するステファナ、ポルトナト、アカイコの三人トリオは、コリント教会の質問状を携え、エペソにいるパウロのもとに相談にやって来た人々です。彼らは草創期からの教会員でずっと教会に仕え、コリント教会の現状にひと際心を痛めていたのです。
特にステファナの一家の存在は使徒にとって心強いものでした。何故ならコリント伝道の際、最初パウロは恐れに捕らわれていたからです。たった一人友もなく、貧しく、長旅の疲れも重なり、弱り果てていたのです。そんな時異教の大都市のただ中で、キリストを告白することが非常に難しい状況で、誰よりも最初に彼らは洗礼を受けクリスチャン一家となりました。
しかも、彼らはそろって聖徒たちのため、特に病者や貧しい兄弟姉妹のため熱心に奉仕してきた家族だったのです。そんな彼らに励まされ共に働き、労苦する者もいたと言うのです。ポルトナトとアカイコは、ステファナ一家と共に教会に仕える人々の代表であったのかもしれません。
パウロはコリントの人々に命じています。「あなたがたも、このような人たちに、また、ともに働き、労苦しているすべての人たちに従いなさい。…彼らは、私の心とあなたがたの心を安らがせてくれました。このような人たちを尊びなさい。」
コリントの教会で持て囃されていたのは、人の目を引く華やかな賜物の持ち主でした。ステファナのような奉仕に徹する地味な人々は軽んじられていたのです。コリントの教会で尊ばれていたのは肩書や財産を持つ者たちでした。ポルトナトとかアカイコのような無名の奉仕者が尊ばれることはなかったのです。しかし、教会はそういう所であってはならないとパウロは言うのです。彼らこそ従うべき人々、尊ばれるべき兄弟、教会の宝だと言うのです。
さらに、自らを誇り他の教会と交わることを好まなかったらしいコリントの教会のために、心からの挨拶を送る教会と人々のあることが告げられます。
16:19~20「アジアの諸教会がよろしくと言っています。アキラとプリスカ、また彼らの家にある教会が、主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。」
当時のアジアにはコロサイ、ラオデキヤ、ヒエラポリスなど、いくつかの教会が存在しました。それらの教会の中心がエペソ教会だったと考えられます。いわばアジア中会です。このアジア中会の諸教会からエーゲ海こえてコリント教会に挨拶が送られたのです。中でも、かってコリント教会で伝道し、今はエペソで家の教会を開いて伝道に励むアキラとプリスカ夫婦からの挨拶はコリントの人々にとって懐かしく、心和らげるものだったでしょう。
そして、「聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい」とある様に、アジアの教会で行われていた平和の挨拶を、コリントの教会においても実行するよう使徒は命じているのです。当時キリスト教会では聖餐式の前に口づけをもって親愛の情を示す挨拶が習慣となっていましたから、ぎすぎすとしたコリントの教会には必要なプログラムとされたのでしょう。
こうして、パウロ自ら筆を執っての結びとなります。当時使徒の名をかたる偽の文書や手紙が横行していたことからして、パウロ自筆の挨拶が手紙の末尾に記されたものと思われます。
16:21~24「私パウロが、自分の手であいさつを記します。主を愛さない者はみな、のろわれよ。主よ、来てください。主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。私の愛が、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべてとともにありますように。」
「主を愛さない者はみな、のろわれよ。主よ、来てください。」これは自らの信仰を誇り、再臨の主への畏れを欠く人々にとって強烈な叱咤激励です。主イエスを信じると言いながら主を愛さない者は誰か。主イエスに救われているのに主を愛さない者は誰か。神の子とされたにもかかわらず、主イエスの再臨を心に留めず、主のわざに励むことなき者は誰か。そう私たちも問われるところです。
しかし、パウロの願いが、すべての人々が主に祝福されることであるのは言うまでもありません。最後に使徒はとりなしの祈りをささげます。「主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。私の愛が、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべてとともにありますように。」
パウロは「私の愛が私に好意的な一部の人とともにありますように」と祈るのではありません。「私の愛が私を認めない人にも、私に批判的な人にも、私を嫌う人にも、あなた方すべてとともにありますようにと祈っているのです。パウロの愛はコリント教会のすべてのメンバーを包んでいたのです。
こうして、この手紙の末尾を読み終えた今、改めて感じるのはコリントの教会に仕え、コリントの教会を支えていたのは使徒パウロひとりではないという事実です。パウロと共にコリントの教会に仕える多くのキリスト者がいたのです。
若く神経質な性格ながら、問題を抱えるコリント教会に仕えるべく旅立ったテモテがいました。コリント教会に招かれながら、自分の訪問が混乱を招くことを心配し、敢えて他の働きを選んだアポロもいました。最初のクリスチャン家族となり、以来ずっとコリント教会に仕えるステファナの一家がいました。その一家と労苦を共にし、教会の現状を憂えつつも、教会を離れず、忠実に教会を支えてきたアカイコ等無名の人々もいました。
問題山積みのコリント教会に対し、それでも心からの挨拶を送るアジアの諸教会およびアキラとプリスカの信徒伝道者夫婦がいました。勿論時に厳しく叱責しながらも、自分に敵対する人々をも包み込む愛をもって教会に仕えた使徒パウロもいました。そして、各々性格も、立場も、賜物も、働きも異なりますが、これらの人々には誰よりも主を愛すると言う共通点があったのです。
私たちの教会にも若いけれども忠実に奉仕に励む兄弟姉妹がいます。アポロのように賢明な判断を下し問題を未然に防ぐことのできる人もいます。草創期の頃から一家を挙げて教会に仕えているクリスチャン家族が存在します。順調な時も困難な時も教会を離れず、黙々と主のわざに励んできた人々もいます。アキラとプリスカのように伝道熱心な夫婦もいれば、パウロの如く厳しくも愛をもってすべての人に仕える奉仕者もいるのです。
そして、私たち四日市キリスト教会はこれからも再臨の主イエスを待ち望みつつ、主を愛する者として歩み続けるのです。私たちは教会が順調な時も困難な時も、若者も高齢者も、性格や賜物、立場が異なっても、皆が主を愛し、皆が聖書の教えに堅く立ち、皆が主のわざに励み続けるのです。
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