皆様は自分が何のためにイエス・キリストに救われたと思っているでしょうか。イエス・キリストが尊い命を犠牲にして私たちの罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださったのは何のためなのでしょうか。私たちが幸福な人生を送るためでしょうか。死後天国に行くためでしょうか。勿論、それも聖書の教える真理です。神は私たち一人一人が幸福な人生を送り、私たち一人一人と共に歩むことを願っているからです。
しかし、それだけではありません。主イエスが十字架の苦しみに耐え私たちの罪を赦してくださった意味、復活によって私たちに永遠のいのちを与えてくださった意味はそれにとどまりません。私たちキリスト者がこの地上に生かされているのは、この世界で果たすべき使命があるからなのです。神がこの地上で私たち教会に託された使命があるのです。その使命とは何なのか。今日の個所から考えたいと思います。
さて前回読み進めた使徒の働き1章では、主イエスが天に挙げられました。弟子たちは地上に残されたのです。その数僅か120人。キリストの使徒、キリストの弟子とは言っても、ほんの一握りの者たちにすぎず、吹けば飛ぶような存在でした。権力なく、富なく、肩書もなければ、正式な学問を修めた者もない。何の力もなき無名の人々の存在を気に留める者、この時ユダヤの国には一人もいなかったのです。
それに加えて、弟子たちのリーダー格である使徒たちは十字架前夜、ある者は権力者を恐れて主イエスから離れ去り、ある者はわが身を守るため主イエスとの関係を全面否定していました。そんな罪の痛みも心に抱えていたのです。そんな弟子たちに対し、主イエスはこう約束しました。
使徒1:8「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
自分たちの様な力なき者がどうしたらエルサレムからユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで出てゆくことが出来るのか。自分たちの様な罪深き者がどうしたら主イエスの証人となれるのか。不安と恐れに包まれていた弟子たちの心は、彼らに力を与える聖霊へと向けられました。
こうして彼らは主イエスの聖霊を待ち望み、毎日心を合わせて祈る群れへと変えられたのです。主イエスの証人として立ち上がるその日に備えて、脱落したユダに代わりマッテヤを新たな12使徒の一人として補充し、体制を整えました。そして、ついにその日はやって来たのです。
使徒2:1~4「五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。」
五旬節の旬は一か月を上旬、中旬、下旬と三等分することから分かる様に10日のことです。旬10日が五つ合わさって五旬節、五十日祭とされました。ユダヤでは過ぎ越しの祭りの終わりの日曜日から数えて50日目。時に紀元30年5月の下旬と推測されます。ちょうど小麦の収穫が始まる季節に行われた収穫感謝祭であり、旧約の昔イスラエルの民が神から十戒を賜った記念日でもありました。五旬節は過ぎ越しの祭り、仮庵の祭りとともにユダヤの三大祭として重んじられていたのです。
なおこの日がペンテコステと呼ばれるのはギリシャ語のペンテが五、ペンテコステが五十番目を意味するからでした。季節柄天候の良い日が多く、収穫祭という喜びもあったからでしょう。国外に暮らすユダヤ人たちも、国内に住むユダヤ人もこの日を目指し、ぞくぞくと都エルサレムに集って来たのです。
弟子たちにとっても主イエスの復活から数えて50日目、主イエスが天に挙げられてから10日目のこと。主イエスの復活と昇天を記念する。そんな思いを抱いて皆が神殿に集まり、礼拝をささげていたその時でした。突然天から激しい風が吹いてきたような響きが起こり、炎の様な舌が分かれて現れ、一人一人の上にとどまったと言うのです。
風は聖書において聖霊を現し、炎は神の臨在を示しています。つまり、この日聖霊の神が弟子たちに下り、主イエスの約束は実現したのです。待望の聖霊がくだり、弟子たちは皆聖霊に満たされたのです。その結果、彼らは様々な外国語で話し始めたと言うのです。彼らは一体何を語ったのでしょうか。その話を聞いた人々はこう証言しました。
使徒2:11「…それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」
聖霊に満たされた弟子たちは神の大きなみわざを語ったのです。聖霊の力は彼らに主イエスの十字架と復活の福音を語らしめたのです。それにしても、何故聖霊は激しい風が吹いてきたような音とともに下ったのでしょうか。何故聖霊は炎の様な舌となり、彼らの上にとどまったのでしょうか。
どんなにぼんやりとした弟子も聖霊の存在を確信し、どんなに疑い深い弟子も聖霊の力を実感できるよう神が配慮されたのです。聖霊に助けられて、彼らはこれまで一度も習ったことのない外国語を用い、大胆に主イエスの福音を語ることが出来るようになったのです。
印象的なのは、弟子たちに与えられた力の内容です。以前彼らは復活の主にこう尋ねていました。「主よ、イスラエルのために(我が母国、我が民族のために)国を再興してくださるのは、この時なのですか。」(1章6節)彼らはイスラエル民族中心の世界の到来を願っていました。ですから彼らはすべての人の空腹をパンで満たすような力が欲しいと考えていたかもしれません。すべての人の病を癒すような力を求めていたかもしれません。ローマ占領軍を退け、母国を平和にする力を祈り求めていたかもしれません。
しかし、ペンテコステの日、聖霊が弟子たちに与えたのは主イエスの福音を証しする力であり、主イエスの証人として生きる力でした。母国ユダヤの人々にも、隣国サマリヤの人々にも、地の果てに住む人々にもキリストの福音を宣教する力だったのです。
教会には他にも大切な働きがありますが、やはり最も大切な働きは主イエスが私たちのために行った救いのわざを伝えること、福音を証することだったのだと改めて心に銘記させられます。神は男も女も、牧師も信徒も、子どもも青年も年老いた者も、私たち皆がこのつたない舌をもって救いの福音を語り、証することを期待しておられる。このことを確認したいのです。
ところで、突然都を襲った物音に驚いたのは、世界の各地から集まってきた敬虔なユダヤ人と異邦人でありながら聖書の神を信じる改宗者たちでした。彼らは弟子たちが自分たちの国の言葉で話すのを聞いて、呆気にとられてしまったのです。
使徒2:5~11「さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。
私たちは、パルティア人、メディア人、エラム人、またメソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントスとアジア、フリュギアとパンフィリア、エジプト、クレネに近いリビア地方などに住む者、また滞在中のローマ人で、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレタ人とアラビア人もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」
当時ユダヤ国外に暮らすユダヤ人は大勢いました。ある者は先祖がアッシリアによって連れ去られ、ある者は先祖がバビロンによって連れ去られ、そのまま母国に帰らず異国の地に定着し、生活してきた人々です。彼らの中には、異教の文化や習慣に馴染み、聖書の神を捨て去った者もいました。異国での安定した生活を守るために神信仰を離れ、神の民としての心を失った者もいました。
しかし、そんな中にあって、神への信仰を守り、偶像礼拝に流されず生きてきた者たちが、世界の各地に存在したのです。彼らを通して聖書の神を知り、改宗した異邦人も存在したのです。そんな人々がこの日神殿に集っていたのです。
けれども、この紀元30年の五旬節は、彼らにとって特別な時となりました。生涯忘れることのない神の祝福を経験したのです。彼らは自分たちの国の言葉で、神の大いなるわざ、主イエスによる救いの福音について聞くことができたのです。
当時のユダヤ人の国語はアラム語です。ユダヤもギリシャローマの文化の影響を受けていましたから、ギリシャ語を話せるユダヤ人も相当いました。しかし、その日巡礼者たちが目撃したのペルシャ語、アラビア語等、自分達の国語を話す弟子たちの姿だったのです。
彼らはどこで暮らしていたのか。その地名のリストが示す広大な範囲に驚かされます。先ずパルティア人、メディア人、エラム人というのは、ユダヤから見て東に住む人々です。今のイランからインド国境近くまでの地域を思い浮かべてよいでしょう。次に西に回って、メソポタミア、シリアを含む広い意味でのユダヤ。それから北に向かってカパドキア、ポントスとアジア、フリュギアとパンフィリア。これらはほぼ今日のトルコにあたります。今度は南に下ってエジプト、リビア等北アフリカの人々が登場します。そこから、地中海を渡ると帝国の都ローマ、地中海に浮かぶ小島クレタ。最後に砂漠の地アラビアからも旅をしてきた人々がいたことをルカは記していました。
ルカは当時人々が世界と言って思い浮かべることのできる最大の範囲をここに示しているのです。ペンテコステ以降、聖霊に満たされた教会がエルサレムから初めて、世界中に救いの福音を伝え、世界中に教会が建てられる日が来ることをルカは確信していたのです。
主イエスもこの日あることを覚えて、神の国のたとえを語っていました。
マルコ4:30~32「またイエスは言われた。「神の国はどのようにたとえたらよいでしょうか。どんなたとえで説明できるでしょうか。それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときは、地の上のどんな種よりも小さいのですが、蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」
世界の教会の最初のメンバーは僅か120人。からし種の様な小さな存在でした。しかし、このからし種の様に小さな教会が東に西に南に北に、世界中に福音に福音を伝え、枝を伸ばし、救いを求める人々のためにその木陰を提供する程の大樹となることを、主イエスは知っておられたのです。
そして私たち日本長老教会も、四日市と東京の松の木、済美が丘、たった三つの教会でスタートしました。1956年のことです。からし種の様な小さな群れでした。しかし、ペンテコステの聖霊は私たちをも導き、東関東にも、神奈川にも、埼玉にも、愛知にも、石川にも、大阪にも、奈良にも、四国にも、東北仙台にも、福音の枝を張り、長老教会は建てられてきました。
私たちの様な小さき群れも聖霊に導かれ、日本と世界の人々にささやかながら教会という恵みの木陰を提供してきたのです。そして今、三重中南勢地区にも教会をというビジョンが与えられ、これに取り組んでいるのです。主イエスはからし種の様な日本の教会にも、同胞のため、隣国のため、遠く世界の人々のため、宣教の使命を託しておられるのです。
しかし、キリストの教会が進みゆく道は決して平たんなものではありませんでした。すでにその兆候はこのペンテコステの日にも現れていたのです。
使徒2:12~13「人々はみな驚き当惑して、「いったい、これはどうしたことか」と言い合った。だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。」
主イエスの福音を受け入れる者もいれば、当惑する者もいる。福音を信じる者もいれば、嘲る者もいる。昔も今も人間の心は自己中心で、神の前に自分の罪を認めようとはしません。自分の力により頼む人間は神の恵みを拒み、救い主等必要なしと主張してやまないのです。
事実、この日誕生したエルサレムの教会を恐れたユダヤの権力者たちは使徒たちを捕らえ、抹殺しようとしました。ユダヤ人の多くは福音を聞くと、それを拒み、拒むどころか異邦人に主イエスの福音を伝えようとする使徒たちを迫害しました。また、最初はキリスト教をユダヤ教の一派と見なし、容認していたローマ帝国も、やがて教会が皇帝礼拝を拒む時、激しい迫害をもって教会を苦しめたのです。
しかし、そうであっても教会は聖霊と共に前進し続けたのです。指導者が捕らえられても、殉教者が出ても、町から追放されても、それでもキリスト者たちは宣教をやめはしなかったのです。ユダヤの最高議会でも、ローマの裁判所でも、会堂でも、町の広場でも、人々が集う川辺でも、荒野でも、荒波に揺れる船の中でも、彼らは主イエスの福音を語ったのです。男も女も、使徒も信徒も、雄弁な者もそうでない者も、聖霊に導かれた人々は宣教をもって神に仕えていたのです。
そして、私たちも彼らと同じ道を行くのです。私たちに代わって十字架で神のさばきを受け、苦しみに耐えてくださった主イエス。復活によって私たちに罪の赦しと永遠のいのちを与えてくださった主イエス。その救いの福音をもって、同胞に、隣国の人々に、世界の人々に仕える使命が、今この日本、この四日市で私たち一人一人に託されているのです。
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